格闘ゲームとキャリア

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【ゲーミング読書】五輪書 水之巻(宮本武蔵)


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少し時間が経ってしまいましたが、宮本武蔵著の五輪書の続きになります。

今回は水之巻と言うことで、彼の兵法の心得の基本的な部分が書かれている巻です。全てが格闘ゲームに通ずるかはさておき、非常に学ぶことの多い箇所をピックアップしていきます。彼の考えを今後の格闘ゲーム、ひいては人生に活かしていきたいと思います。

※内容的には兵法三十五箇条も引用しています。

 

一、兵法心持の事(へいほうこころもちのこと)

 

「心の持ちやうは、常の心に替る事なかれ。」

→兵法において最も大切なのは“平常心”である。

 

・武蔵の言う、平常心とは?

1.広い視野を持ち、正直(穿った見方をしない)

2.緊張し過ぎることも、弛み過ぎもしない

3.一つの事柄に執着し過ぎず

4.静かな時も油断せず、有事の時も動揺しない

5.心は身体に引きずられず、身体も心に引きずられない

6.心の表面上は弱く見えても、本心には強い心を持つ

→あらゆる“~過ぎ”を嫌い、いわゆる“中庸”を重んじている。また身体と心が一体であることは否定せずとも、引きずられないよう訓練すべきであると説く。

 

格闘ゲームにおいては、対戦中のミスが当てはまるだろう。ミスをした瞬間に心は動揺してしまう。そうすると、その動揺は操作する手に作用し、また次のミスを誘発する。これを防ぐためにはミスに動じず、身体のミスに心が引きずられないことだ。心が引きずられなければそこでミスが終わるのである。

 

一、兵法の目付といふ事(へいほうのめつけということ)

 

「観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専なり」

→目でもって、対象の一部、一点のみを見ることを“見の目”、心でもって全体を観察するかのように捉えるのが“観の目”。

戦っている最中は相手の一部しか見えなくなるもの。例えば相手が両手を振りかぶってきた場合、その腕だけを見てしまうだろう。武蔵はむしろ近い間合いでこそ、全体を俯瞰するように捉えて相手の動きを察知するべきだと言う。つまり直接的には腕を見ずして、全体の動きから相手の行動を予測せよとのことなのだ。

 

格闘ゲームにおいても、どうしても対戦キャラクターの動きばかりに目がとらわれて、肝心のゲージや間合いに意識が働いていないことがある。普段から相手のキャラクターだけではなく、画面全体を観る意識を強めていくべきなのかもしれない。

 

一、敵を打つに、一拍子の事(てきをうつに、いちひょうしのこと)

 

「(中略)敵のわきまへぬうちを心に得て、我身もうごかさず、心も付けず、いかにもはやく、直ぐに打つ拍子也。」

→敵がまだ心の準備が出来ていないうちに、気づかれないように素早く攻撃する拍子のこと。相手を良く見て、この拍子を把握してその拍子をはやく打つことを鍛練すべきと武蔵は説く。

非常に武蔵らしい考え方で、相手の心の隙を突く、油断に漬け込むことを是とし、これを日々練習しなさいと書いている。

 

⇒一拍子とは格闘ゲームではどんな瞬間だろうか?

対戦が始まって直後や、不意の打撃が当たった時など、予想外の状況に出くわした時が武蔵の言う一拍子に当たるのではないか。ここで相手がどの程度動揺しているか、いかに早くその動揺を攻撃出来るかを鍛練すべきなのかもしれない。

 

一、二のこしの拍子の事(にのこしのひょうしのこと)

 

「敵の気のはやきには、我身と心をうち、敵動きの迹を打事」(兵法三十五箇条より)

→敵が警戒している場合には、身体と心を使って相手を動かし(防御させ)、その動きの隙を打つべし、とのことだ。相手が警戒していることを読み取り、こちらの一挙手一投足で相手の動きを誘導し、その動きの後に生じる隙を突くわけである。

 

⇒例えば中足が当たるか当たらないかの距離まで踏み込んだとしよう。そこで相手の取る選択肢としては、歩きに対して技を押す、更に後ろに下がる、ガード、といった行動がある。そこで再びこちらが少し下がって差し返しになる技を置けば、相手が歩きに対して技を出していた場合に差し返しとなる。

こうすると相手はこちらの歩きに対してボタンを押しにくくなり、さらに踏み込むことが容易になる。格闘ゲームにおける“二のこしの拍子”と言えるだろう。

 

一、無念無相の打といふ事(むねんむそうのうちということ)

 

(敵も打ちださんとし、我も打ちださんと思ふ時、)

「身を打様にして、心と太刀は残し、敵の気の間を空より強く打つ」(兵法三十五箇条より)

→かなり難しい表現のため、難解で確定的なことは言えない。身体は打つ姿勢を取るが、心と太刀(手元)はまだ動かずにそのまま、そして後から続くように空から強く打つ、とのらしい。まず“空”という概念が非常に難解だ。これは武蔵の説く意味では、“空”という感覚から刀を操るという意味のようである。

まず刀を振るう場合、

「敵にに当てたい、倒してやる、こいつムカつく」

等々、様々な感情から刀を振るっていることが考えられる。

 

また、

「相手がこう動いたら、こちらはこう動く、」

「こちらがこう動いたら、相手はこう動くんじゃないか…」

等思考を伴って行動してしまうのが常である。

しかし武蔵はその“思考”や“感情”を越えた“空”で動くことを説いているのである。

 

⇒歴戦の猛者達の昇竜拳パナシが当たるのも、この“空”の境地に入りかけているのかもしれない。ウメハラさんのパナシは、確かにここぞと言うときに当たるイメージがある。あれも、

「どうにかして当てたい!」

「固めやがって、いい加減にしろ!」

というような強い感情や思考といった所からは離れてしまっているように思える。だからこそガードされた時も顔色一つ変えずに飄々としているのかもしれない。

 

 

水之巻 まとめ部分

(中略)

「けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝つとおもひ、此書物のごとくにして、少しもわきの道へゆかざるやうに思ふべし」

 

「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」

→「一日一つずつ強くなる」、まさに梅原大吾さんの言葉と全く同じことが武蔵によって最後説かれている。いきなり高みを目指すのではなく、一つ一つ段階を経て、脇道(邪道)に逸れることなく日々鍛練を続けてこそ境地に至ることが出来ると武蔵は書いている。

 

格闘ゲームでも同じだ。いきなりプロゲーマーを倒そう、追い越そう等と張り切った所で、彼らが辿ってきた練習や経験を経ていない未熟者がいきなり勝てる訳がない。

やはり一日一つずつ強くなり、間違った練習をせず、脇道に逸れることをしなければ自ずと格闘ゲームも上手くなっていくだろう。

昨日の自分よりも今日の自分、今日の自分よりも明日の自分の方が上手くなっていると自信をもって言えるように、日々練習を続けていきたい。

 

 

次回は五輪書、火之巻です。